祖母の味はもう継げないという後悔と、母の味を継ぎたいと思った話

祖母は、もうじき90になります。

祖母は認知症を患っていて、月日を重ねるごとに症状が深刻になっています。

同じ発言を繰り返す症状に加え、日付が覚えられなくなったり、直前に言ったことや行動したこともすぐに忘れるようになりました。私たちが祖母の家から帰った夜に電話をすると、私たちが来たことを既に忘れてしまっていることもあります。

最近は私のことも分からなくなり始めているようで、あるときは私のことを学生と言ったり、60歳とも言っていたと母から聞きました。

どうしようもない悲しさと、もう昔のように話すことはできなくなってしまったんだという虚しい気持ちがこみ上げます。

母は、そんな祖母の同じ会話にも一つ一つ一生懸命に受け答えをしていて、時にそのことに疲れてしまい、気を取り乱すこともあります。

そんな様子を見ながら、疲れる母を見る悲しさと、自分では役に立てていない無力さと、悪意はないにせよ、母を取り乱させる祖母に対して複雑な感情がこみ上げてくることもありました。

そして同時に、30年後、もしかしたら私もあの場所に立っているのだろうか、立っているとしたらどんな言葉をかけられるのだろうか。ということを深く考えるようになりました。

そんな状況がここ数年続いているものですから、祖母に火を使わせるのは心配という理由から、ガスの元栓は切っていて、祖母の料理のほとんどは味わえなくなってしまいました。

また、祖母自身も料理の作り方を忘れてしまったようで、加熱調理以外のレシピについても継ぐことができなくなってしまいました。

祖母がおかずを作ってくれていたころ、当時の私は料理を作ることに興味がなかったので、作り方を聞きたいとは全く思っていませんでした。

「地味なおかずだ」と思いながら食べた事すらありました。

でも、こうして料理を作るようになって、祖母が出してくれていた”地味な料理”こそが素材の味が味わえて特においしいのだということ、食べながら四季を感じられて、また作りやすくて、ずっと作り続けたくなる料理になるのだということ。そういうことがわかるようになってきました。

だから今、祖母の料理を継がなかったことについて、とても後悔をしています。

カブのぬか漬け、きゅうりとミョウガの和え物、ピーマンとなすのみそ炒め、なすの柔らかくなった煮物、焼きなす、手作りフキ味噌の焼きおにぎり、ささげの和え物に、お赤飯やパン、まんじゅうも作ってくれました。

おばあちゃんの味は、今では心の中でぼんやりと思い出すことくらいしかできません。

だから同じ後悔を繰り返さないよう、私は母の味は継ぎたいと思っています。

母は私ぐらいの年齢の時には料理本を見ながら作っていて、次第に感覚だけで作るようになったのだそうです。

私はまだまだ本やネットのレシピを見ながらでないと旨く作れないので、一見目分量で適当に作っている母の料理を食べると、「やっぱり母は凄い」と尊敬と憧れの気持ちを抱くとともに、「適当に作っているはずなのにこんなにおいしくできてずるい」と、嫉妬する気持ちもあります。母は偉大です。

母はまだまだ元気で、料理も沢山作ってくれます。

だから今度こそは、母の味、母の料理を継ぎ、ずっと大切に残したいです。

料理だけではありません。人生の出来事や、どんなふうに考えながら生きてきたのかとか、また生きることはどんなことだろうかということについて、母親になるということについて、知恵や雑学についてなど、継げるものは全て継ぎたいと思っています。

私は、これからもおいしい料理をたくさん覚えて両親を喜ばせたいです。また、新しい家庭を築いたときに、母の話を思い出して、母がどんな気持ちで母親をしていたのかということに思いを馳せたいです。そして、母のように、ご飯が楽しみと思ってもらえるような料理上手な母親になっていたいです。

そしてもし、母が祖母のように料理を忘れてしまう日が来てしまったとしても、私が母の料理を作りたいです。

食べた母が少しでも懐かしく感じてくれたら、悲しいけれど、幸せにもなれるのだと思います。

スポンサーリンク
レクタン大
関連記事